あなたにとって祖父母とはどんな存在ですか?

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幼少期

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祖父母との青森での生活

2歳で裁判→3歳で正式離婚。

とうに二人は別居していて

幼いわたしは祖父母に預けられていた。

まず

祖父母との生活が

どんなだったのかを

お話しします。

 

家は道路沿いの

青いトタンの木造の2階建て。

電気は通しているが

ガスは通さず

1階の居間に蒔きストーブ。

 

お風呂は細かいタイルの

真四角の湯船。

シャワーはなく

蛇口すらなかった。

なによりトイレが悲惨・・

ボットン便所で下を見ると

ウジ虫がそれこそウジャウジャいたw

 

生活の決まりごと

*洗濯は週に1回

バケツで汲んでお風呂の残り水を使うこと。

 

*お風呂も週1回

ガス・電気で沸かすタイプじゃなく

灯油に火をつけて沸かさねばならず

時間がかかるので

2時間前には沸かす準備をすること。

 

*ストーブ等は

1階の蒔きストーブのみ使用すること。

 

*料理は蒔きストーブの上で

すべて行うこと。

 

*夜は19:00前後に

玄関のカギを祖父が閉め

それまでに帰ってこないと

家に入れてくれない。

 

まぁこんな感じで衛生面も

生活レベルも

なに時代の生活なんだろうと

云わざるを得ないものでした。

 

祖父母に母親似と言われて・・

わたしは

小さい頃から祖父母に嫌われていた。

それはただ

母に似ているということからだった。

 

祖父母は父方だったため

母のことが憎いらしく

いつもいつも母の悪口を聞かされた。

 

まだ親に

甘えたいさかりのわたしは

祖父母にも誰にも

甘えることができず

いつか迎えに来てくれると信じて

なんとか

保とうとしている心すら

どうにかなりそうだった。

 

当時を思い出しながら

これを書いていますが

その頃の幼い子は

今もわたしの中にいて

涙を流してきます。

 

自立するようになり

色んな方々と出会い

14年という時間を共にした

愛猫にも出会い

愛するということを知ってからは

 

祖父母だけでなく

きっと迎えに来てくれると

心の支えにして生きていたはずの

わたしの中では

冷酷な人間だと

受け止めざるを得ない

存在になった。

 

強いられる仕事

小学生になると

包丁仕事はもちろん

床拭き・掃除

お風呂の準備・祖父母の洗濯と

なんでもそつなく

こなせる子になっていました。

 

祖父は闇米屋をしていた。

闇米屋は看板の出していない

モグリの店のことで

扱うのは 米はもちろん

小豆、大豆、金時豆や

色んな種類の穀物を揃えていた。

休日は

天気が悪いと

闇米の仕事をさせられ

 

多くは米や豆についた

白いイモ虫のような虫を

1つ1つ取りのぞき

欠けてしまった豆や

虫に食われたものを排除して

売り物として出せるようにする

内職のような仕事。

 

天気がいい日は

祖父に連れられ山に入る。

何をしに山に行くかというと

蒔きストーブの木材を確保しにである。

これがわたしの

1番嫌いだった仕事でした。

 

家から祖父とリヤカーを引き

山へ入るまでは普通に民家があり

同級生の子たちに

その姿を見られるのが

恥ずかしかったからだ・・

 

帰りはとくに嫌で

リヤカーからはみ出る長い木を

積めるだけ積んで帰らなければならず

力の弱いわたしは

祖父に怒号をあびせられながら

リヤカーを必死で押し

そんな姿を

家族で楽しく出かけた帰りであろう

同級生達に見られるのが

本当に苦痛だった。

 

虐待と誰にも届かない声

わたしは

ここにいる間

祖父にかなりの虐待を受けた。

ホウキの柄なんて生ぬるい。

蒔きストーブの木や

火箸・酒瓶

そうゆうもので殴って倒れると

足で腹を蹴り上げられ

足で踏み潰され

祖父は飽きるまで続けた。

 

わたしはただそれが終わるのを耐えるだけで

泣く暇などなかった。

 

なにがそんなに

気に入らないのか

そんな理由など考える術もなかった。

誰にも云えなかった。

云う人が居なかった・・

 

【子供に対する虐待の種類】身体的虐待・性的虐待・心理的虐待・ネグレクト

身体的虐待や性的虐待は、ご理解あると思いますが心理的虐待・ネグレクトとは何かを簡単ですがご説明します。

心理的虐待→言葉で脅したり、心を傷つける暴言、配偶者などへの暴力。

ネグレクト→食事を与えなかったり、不衛生な環境下に置くこと。

皆さん

虐待の連鎖という

言葉を知っていますね?

 

虐待を受けた子供

虐待をする大人になる確率が高いとし

ニュースやワイドショーなどで

よく耳にすると思います。

わたしはこの言葉を聞く度に

連鎖の子だと

責められているように感じ

心が痛みます。

 

そんなことも踏まえ

わたしは

子供を産もうと考えていません。

それは自分の

DNAを残す気がないから。

 

祖父に対しての激しい憎悪と

悲しみ、苦しみ。

DNAを残したくないと思った

暴力だけではない

ある祖父の仕打ち

 

わたしには

消したくても

消せない過去がある・・

 

それはまた別の記事で書きます。

読んでいただきありがとうございました。

 

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