歌舞伎町の愉快な仲間達と居場所

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歌舞伎町ゆかいな仲間達と居場所ができるまで

わたしは歌舞伎町で18歳から働き始めた。

今でもまだそのビルだけは存在する。

立派な洒落た階段のあるビルの5階のお店で

店名はパブ 〇や

まずは経営側から紹介したいと思います。

 

いつも着物で大きなUFOの円盤のような

 髪型をしたママ。

 

キダタローそのまんまの

 不自然な髪型のマスター。(ママの旦那)

 

競馬狂いで情にもろい説教好きの部長。

 

おぼこい顔のわりに

 しっかりした将来を考えている店長。

 通称〇めちゃん。

 

若いわりに冗談の利かない頑張り屋の

 通称〇せちゃん。

垢抜けないキャストに集うお客様

北海道・青森・秋田・福島・茨城

千葉・東京・愛知・山口・鹿児島

・・・などの

地方出身の垢抜けない

18歳~27歳くらいまでの女子で

在籍20名強の

小箱のスナック2軒をぶち破った

細長いカラオケパブ。

 

お店は毎日大盛況でお客が並び

階下の居酒屋で飲みながら席が空くのを

順番待ちするほどの店だった。

 

当時は大手の大箱キャバクラが流行り

煌びやかな内装に

胸の谷間を

ガンガン出し肩を出したドレスを纏う

盛り盛り頭のキャバ嬢がもてはやされていた。

そんな中

なぜこんな小箱の店で

スーツやワンピースを着て

自分でヘアメイクをした

煌びやかとか 夢を売るなどとはほど遠い

田舎くさい女の子しかいない店に

客がわざわざ来るのか解らなかったが

東京で働く地方出身者が

気さくで垢抜けずプライベートも

仕事も切り離さずただ楽しそうに

働く素人風な女の子達に

なにかしらの癒しと出会いを

求めていたんだなぁと今なら解る気がする。

客層と愉快な仲間達

客層はいたって普通のサラリーマンから

パチンコ店員、ガテン系、同業者、

個人事業主、音楽業界、バンドマン、警察官等

さまざまな業種の人たちが飲みに来ていた。

 

バンドマンでは

当時はあまり有名ではなかったが

現在も活動中の

〇二〇リンのボーカルも来ていた。

 

お店は19:00~朝4時半までのロング営業

わたしは19:30~ラストまで働いていた。

その店に在籍する女の子は

普通な子は数人で大幅に分けると

2種類で分けられた。

それはバンギャヤンキー臭の残る女子

いくら職場が一緒でも随分生活レベルは

この2種類では違っていて

断然バンギャが悲惨な生活を送っていた。

本人達が自分から話していたことですが

*電気・ガスを止められた。

 

*家賃が何ヶ月も払っていなくて

 大家から出て行けといわれている。

 

*タバコが買えないから

 お客さんから買ってもらった。

 

*彼氏に殴られ腫れて出勤できない。

 

お金がないからと

 瞼に大きな紫色のアザのまま出勤。

これぐらいなら

なんとも思わないくらいになっていましたが

「スーパーでウインナーを

 万引きして食べた」

さすがにこれを聞いたときは・・引いた。

しかも5・6歳年上の人だった。

バカにされた青森訛り

わたしは青森から東京に来て

すぐ働いたもんだから

めちゃくちゃ訛っていた

それを

通じねぇ~じゃ~ん!と笑ってくれる

お客さんもいましたが

ただ訛っているというだけで

殴ってくるお客さんもいた。

 

山手線ゲームをしていて

答えただけで平手打ちをされたこともある。

東京に来たばかりの頃は地獄だった。

青森訛りから

標準語に直すまでに

相当な時間がかかった・・。

よくバカにされトイレで泣いたものだ。

数年前に青森に帰省の際、友達と子供の会話を聞いた所イントネーションが違うくらいで青森訛りはすっかり薄くなっていました。
わたしは祖父母に育てられたのでかなり訛りが酷かったようです。
【青森弁講座】はなぱし→鼻先 でなずぎ→おでこ うしろこんど→後頭部

帰る家

青森の部屋を引き払い

もう帰る家はなかった。

東京に来た以上

泣いて終わるわけにはいかない!

青森のじょっぱり根性

負けるわけにはいかない!

そう思い、

指名の取れない間は

ひたすら小瓶のビンビールを

しこたま飲み、

お店の売り上げを貢献することに徹した。

とにかく自分がいただく

1日のお給料の

倍は飲もうとカウントしながら飲んだ。

 

新規のお客さんが来ると

ボーイが優先して席につけてくれたのを

みすみす逃すわけにはいかないから

めいっぱい元気に振る舞い

大酒を呑みテンションを上げて

お客さんに合わせ自分を変え

毎日毎日ひたすら頑張って働いた。

 

二日酔でも向かい酒をして

がんばった甲斐もあり

しばらくすると

ご贔屓の毎日通うお客さんが何名もでき

大人数で来るガテン系のお客さんも。

指名客が来ない日がなく

ハッピーに働けるようになった。

ママ

何も云わずただカウンターで

親指で鼻をほじり 納豆飯を食い

薬を飲み 金計算ばかりして

たま~にアランドに(ラブホ)

マスターと帰っていく年老いたママが

わたしの贔屓客の席に顔を出し

にっこり笑ってウーロン茶を飲んで

帰って行ったことは

今でも忘れられない・・

 

*この店で働く女の子達は

とても特徴のある子が多かったので

私生活や思い出などを

またの記事に書きたいと思っています。

読んでいただきありがとうございました。

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